「心は誰にも見えないのだから、見えるものよりも大事にするといい」という、歌詞。
私たちは普段、相手の表情や言葉、態度を通してその人を理解しようとする。
しかし、それらは本当にその人自身の「すべて」を映し出しているのか?
その人が発した言葉や表現は、その人がこれまでに経験してきた記憶や感情、培ってきた価値観や信念といったフィルターがかかっている。
さらに、それを受け取る際にも、同じように自分自身のフィルターを通して解釈している。
こうした重なり合うフィルターの存在を考えると、私たちが目の前に見ている姿は、その人のほんの一部にすぎず、決してその人の本質そのものを映し出しているとは言い切れない。
むしろ、本当の姿や思いは、もっと奥深く、言葉や表情の裏側に静かに佇んでいるように思える。
それは、言葉や形では表しきれない「何か」、目には見えないけれど確かに存在している仏教用語で言うと「無」や「空」のようなものかもしれない。
ぼくが最終的に表現したいのは、その「何か」。
目に見えるものだけを頼りにするのではなく、表面的な姿のさらに奥にあるものに心と意識を向けたい。
そして、その「何か」をできる限り純度の高い状態で受け取り、表現したい——そう願っている。